襲われる良寛(その1)(18/100)
やっとの思いでふる里の越後(新潟県)に帰ってきた良寛さんも当初は単なるコジキ(乞食)坊主、カンジン(勧進) 坊主でしかなかった。
浜辺の船小屋が火事になった時のこと、火をつけたのはこのコジキ坊主だと勘違いされ、頭にきた漁師は雷さまのように怒り狂って追い立て、責めたて、ついに砂の穴に埋めてしまいました。
良寛さんも「おれではない」と必死に弁解してみたものの、どうすることもできませんでした。
あくる朝、良寛さんを知っているおばあちゃんがそれを見て、「良寛さんどうしたことだ」と尋ねると、「村の人からそう思われているのだから仕方がない」とすっかり諦めていたそうです。

    打つ人も打たれる人も諸(もろ)ともに
    如露(にょろ)亦如電(にょでん)
    応作(おうさ)如是観(にょぜかん)(金剛般若羅密経中の語)

襲われる良寛(その2)(19/100)
地蔵堂(新潟県)に一人のたちの悪い船頭さんがいて、いつかあのカンジン坊主を困らせてやろうと思っていました。
丁度通りかかった良寛を見つけて、船に乗せました。良寛さんが乗った途端、船を揺(ゆ)すり川の中に振り落としました。そしてしばらく良寛の苦しむのを見て楽しんでから船へ引き上げてやりました。
良寛さんは少しも驚かずに、怒りもせず、困りもしないで、一命を救ってくれたこの船頭にお礼を言いました。

  災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。
  死ぬる時節には死ぬがよく候。
  是はこれ災難をのがるる妙法にて候。

なんてまあ良寛さんは寛大なんでしょう。

戯れる良寛(その1)(20/100)
ふる里の子どもたちも汚らしく、とぼけた良寛さんを馬鹿にして、からかってはおもしろがっていました。良寛さんはその時のことをこんな詩にしています。

七言絶句
  十字街頭乞食了(十字街頭食を乞い了(おわ)り)
  八幡宮辺方(まさ)に徘徊す。(八幡様あたりでうろうろしていると)
  児童 相見て共に相語る (餓鬼どもが互いに顔を見合わせてはなにかクスクスと笑いながら話している。)
  去年の癡僧(ちそう)今又来ると(去年のおろかな坊主がまたやってきた)

良寛さんが子供をくさした詩はこのほかにも2〜3あるらしい。しかしそれ以後は子供をけなすようなものは見あたりません。
子供も良寛さんが悪い人でないことを知ってから、仲良しになり毎日良寛さんが来るのを街角(まちかど)で待つようになりました。
良寛さんは死んだ真似(まね)が上手で道端で寝ころびます。そると子供達は喜んで筵(むしろ)をかけては足の裏をコチョコチョ(くすぐる)したり、鼻の孔の中に草の茎(くき)を入れたりして笑い楽しみました。

  師児童トアソビ、能ク死者ノ体ヲナシ、路傍ニフス。児童或ハ草ヲ覆フ、木の葉ヲ覆テ葬リノ体ヲナシテ笑ヒタノシム。

  遊びをせえんや生まれけん 戯れせえんや生まれけん 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそ動(ゆる)がれる

戯れる良寛(その2)(21/100)
子供達がどんないたずらをしようと良寛さんはじっと死んだままでいるので、子供達は本当に死んだのではないかと勘違いして思わず泣き出す子もあったほどでした。

  一狡児(いたずらっこ)あり、師が死者の体をなすや、指を以て師の鼻をつまむ。
  師もその久しきに堪(タ)えずして、自ら蘇生す。
  こは禅師自ら気息を整へんが為めになせしならんか。
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