手まりつきつつ(22/100)
良寛さんは、自分から自分のことを他人に言いふらすようなことをしませんでした。地元の人たちは気味の悪い、うす汚い嫌な奴(やつ)だと思っていました。しかし、子どもたちはいち早く仲良しになり、毎日決まった場所で良寛さんの来るのを待っていました。良寛さんはその子どもたちをみると、手まりやおはじきをしたり、草を摘(つ)んでは百草を闘わして一日中相手になって、またどこかへ消えていきました。

  子供らと手たづさはりてはるの野に 草菜を摘めばたのしくもあるか

  この宮のもりの木したに子どもらと 手まりつきつつくらしぬるかな

  子供らとてまりつきつつこの里に あそぶ春日はくれずともよし

  かすみ立つ長き春日を子どもらと 手まりつきつつこの日くらしつ

  霞立つ長き春日を子供らと 手まりつきつつ今日もくらしつ

良寛和尚に好きなものが三つありました。童男童女と、手鞠と、ハジキと。

天上大風(23/100)
良寛さんはすばらしい書家でもありました。しかしどんな立派な字を書いても、他人(よそ)様の目に触れるようなところには決して出しませんでした。
ある時、燕(新潟県燕市)へ托鉢に行ったときのこと、一人の子どもが凧(たこ)を上げたいので字を書いてくれとせがみ、一枚の紙を持ってきました。良寛さんは快(こころよ)く引き受け、紙を無造作(むぞうさ)に筵(むしろ)の上に広げて、一気に「天上大風」と書きました。筆が真っ直ぐ走らず、凸凹の模様(もよう)がまた、味わいのある文字になりました。

  良寛遺墨中最もよく良寛その人の面目を発揮したものの一つに数えられている「天上大風」の楷書四字は新潟県南蒲原郡大崎村(三条市敦田)藤崎家蔵。


双幅の珍品「一二三」「いろは」(24/100)
良寛さんの人柄も少しずつ理解され、親しまれるようになりました。ある時、おばあちゃんが「良寛さん、あなたは字が上手(じょうず)だということだが、おれにも一枚書いてくれや」と頼みました。良寛さんは「よしよし」といって筆をとりました。その時「おまえさんの字は難しいから、おらにも読めるような字を書いてくれや」というと、良寛さんは「一二三」「いろは」と二枚書いてくれました。「どうだ、これならわかるだろう」といいました。おばあちゃんは大喜びしました。
おばあちゃんでなくて、飴屋の主人だという説もあります。(越後西蒲原郡松野尾村山賀氏蔵)
いずれにしても、良寛さんの人柄のよさをよく表した証拠品で大切な宝物です。

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