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製鉄遺跡現地説明会 2005/10/30

下ヶ久保C、D、E遺跡

下ヶ久保C遺跡は9世紀から11世紀にかけて製鉄が行われていた遺跡で、軽井川南遺跡群の中で鉄生産量が最も多く、遺跡の中核を占めています。
 C遺跡の鉄滓が100トンを越すと考えられ、この区域で生産された鉄は60〜100トンと推定されます。
 隣接する下ヶ久保D遺跡は古い形式の箱型の製鉄炉でここで始まった製鉄が、C、E遺跡へと発展していったと見られています。

C遺跡製鉄炉C遺跡の半地下式竪型炉。平安時代後半に築かれたもの。
竪型炉の上部は鉄を取り出すために壊されている。
炉が築かれた場所の下に鉄滓が並べた上を粘土で貼ってあるもの、灰や木炭をしいてあるものと炉の築き方が違うものがあった。
説明会の模様現地説明会は午前と午後の2回。
午前は100人以上の人が2班に分かれて、雨上がりで履物を泥だらけにして広い遺跡の中を歩いた。
C遺跡中央の廃滓場の説明を聞く。
盛り土保存される廃滓場製鉄の際に出る鉄滓という不純物を捨てた廃滓場がC遺跡中央に広がっている。
この廃滓場を含む1,400平方メートルの地域が盛り土保存する計画になっている。
この場所は少なくても3回〜4回製鉄炉が作り直され、斜面を下から上へ移動して広い廃滓場が出来たと考えられている。
後世の人に遺跡を残すためこの場所は本格的な発掘はしないで保存される。
木炭窯跡製鉄には大量の木炭が必要になる。C遺跡では18基の木炭窯が確認されている。
窯の両側と奥に煙を出す「煙道」が作られていて、焚口に鉄滓が出土している。
中には窯の両壁に製鉄炉で使った炉壁を貼り付けている木炭窯があった。
木炭窯に木炭が残っていたこの木炭窯には当時の木炭がそのまま残っていた。
今後分析されるともっと詳しいことが判明すると期待できる。
E遺跡E遺跡は比較的小規模ですが、当時のものとしては標準的な規模のもの。
発見された半地下式竪型炉(製鉄炉)は繰り返し使われた形跡はなく、斜面の上の方から流出した土砂で一気に埋没したようで、炉の下方に炉壁が散乱して出土した。
小さい廃滓場が1箇所あったが、鉄滓の量が少なく、一度製鉄した鉄の純度を高めるため再度製鉄した炉とも考えられている。
D遺跡の箱型製鉄炉跡D遺跡では箱型炉といわれる半地下式竪型炉よりも古い(8世紀まで遡るかもしれない)形式の製鉄炉が見つかっている。
箱型炉は粘土で長方形の箱型の炉を作り中で砂鉄を熔かし、不純物(鉄滓)を流しだして、炉を壊して生成した鉄を取り出す。
鉄を溶かす時高温にするために送風する鞴が使われるが、この炉には鞴の跡が見つかっていない。
箱型炉は炉を壊して鉄を取り出すために炉壁や炉底の破片だけ残っていたが、現在は炉の下部を更に掘って炉の構造を調べている。
防湿効果を高めるために炉の下には一度焼き締めてから木炭や灰が敷き詰められていた。
出土した遺物の説明 プレハブの建物の中で出土した遺物の説明があった。
この遺跡は鉄の生産や鍛造・鋳造の加工を目的とした施設で生活用品の土器などの出とは少ない。
箱型炉の鉄滓 この遺物は小田ヶ入A遺跡から出土した箱型製鉄炉の鉄滓。
箱型炉は炉内の温度が低いので鉄分が多く含まれていて生産性は低かったと見られる。
箱型炉の炉底滓 下ヶ久保D遺跡の箱型製鉄炉の炉底滓。
江戸時代の銅鏡 製鉄とは時代の違う銅鏡がD遺跡から出土している。
精巧な鶴と亀が彫られている。

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2005/11/9 UP NET・陽だまり 写真撮影・作成:小竹 進 
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