やけのの一草 |
貞心尼54歳の時、長岡へ父の墓参りに出かけていた留守中に、柏崎大火により、釈迦堂が焼失してしまう。焼け出された後、観音堂での仮住まいから、不求庵へ定住するまでの様子を書きつづっている。 「来てみれば、知らぬ野原と、やけはてて 立ちよるかげもなきぞかなしき」 もとは「蓮の露」と同様、10枚をそれぞれ二つ折りにした冊子だったようだが、現在は縦23センチ、横280センチの巻物一巻に仕立てられている。末尾に「嘉永4年いのとし、神無月、不求庵貞心尼」の署名がある。また、巻末の余白に、郷土史家、関甲子次郎(せききねじろう)氏の記載と、中村藤八翁の所蔵署名が記入されている。 |
●新潟県立図書館・文書館の越後佐渡デジタルライブラリーでは、やけのの一草のデジタル書籍を見ることができます。 |
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