藍澤南城 学塾三餘堂関係資料の概要
 藍澤義塾の閉鎖後、学塾関係の資料は塾主の藍澤家によって管理されていたが、明治三十八年(一九〇五)、雲岫の子誠一によって、塾の蔵書が私立柏崎図書館(現柏崎市立図書館)に寄贈された。さらに、昭和四十九年(一九七四)には、雲岫の孫誠治によって、南城の自筆稿本や版木等の資料が新潟県立図書館に寄贈され、それぞれ今日まで収蔵されてきた。
 歴代当主の肖像画など藍澤家そのものに関する資料が、依然藍澤家に所有されていることから、歴代当主が藍澤家と関係の遠いものから順に手離していった経緯をうかがい知ることができる。
 藍澤家所有の資料以外にも、三餘堂に関する資料が各所に存在することが確認されている(註1)。しかし、これらの資料は藍澤家の所有物であること、二次的な資料であること等の理由から、今回は指定の対象としなかった。
 今回、対象としたのは、両図書館の学塾関係資料である。学塾教育のあり方を示す資料を一つのまとまりとして把握するため、書籍、古文書、版木を歴史資料として一括指定することとした。以下、指定の対象とした資料の概要を説明する。

◆新潟県立図書館◆
<書籍> 200冊
両図書館にまたがる本物件の中核を成す部分である。南城の注釈書、詩文、歴代の藍澤家当主の著述等からなるが、南城の注釈書が大半を占める。

1.南城の注釈書(稿本)
 南城は、注釈に際して各説を比較検討したうえでその長所を取り、特定の立場に偏しない、という折衷学の立場をとった。以下に示す注釈書は、南城の学問・思想の方向性を知る貴重な手がかりとなる資料である。
・『周易索隠』 6冊(草稿本5冊)
・『古文尚書解』 14冊(草 稿本14冊)
・『三百篇原意』 7冊(草稿本9冊)
・『礼記講録』 8冊
・『春秋左氏傳私説』 2冊
・『春秋左氏傳杜註講義』 6冊
・『論語私説』 6冊
・『孟子古注考』 4冊(草稿本5冊)
・『孝 経考』 2冊
・『讀国語』 2冊
・『荀子定義』 1冊
・『讀文選』 8冊
・『三餘経義考』 1冊
・『経傳愚特』 2冊
・『三餘剳記』 2冊
・『南城山人三餘雑著』 1冊
・『三餘雑記』 1冊
・『補漏』 10冊
・『中晩唐七絶抄略解』 2冊
・『唐宋絶句抄』 1冊

2.南城の詩文(稿本)
 南城は、南条村の四季や農民の生活を好んで題材に選び、自由な詩体で詩を詠んだ。『南城三餘集』に収められた詩は2,000篇を数える。
  ・『南城三餘集』 16冊

3.歴代藍澤氏当主の著述(稿本)
 歴代の藍澤家当主の著述であるが、その大半は詩文である。
  ・藍澤北溟 『堅貝夜話』 1冊、『朝陽館詩草』 1冊
  ・藍澤朴斎 『珍書帳』 1冊
  ・藍澤雲岫 『明治十一年詩艸』 1冊、『雲岫詩草』 1冊、『雲岫詩艸』 1冊、『辛卯詩文草』 1冊

<古文書> 4冊
 三餘堂門人の姓名録である。三餘堂門人の出身地域、階層、数等を知りうる貴重な資料である。

1.『三餘堂弟子籍』 1冊
 縦15.5センチ×横21.8センチ、墨付41丁。文政三年(一八二〇)より万延元年(一八六〇)までの南城の門人名が記される(七二三名)。入門年月日順に書きつづられ、出身地や字・号が付される。

2.『三餘堂弟子籍』 1冊
 1よりやや大きく、縦15.7センチ×横23.7センチ、墨付15丁。万延元年より明治五年(一八七二)までの朴斎の門人名が記される(245名)。

3.『塾生名簿』 1冊
 縦24.7センチ×横16.0センチ、墨付5丁、明治二十七年より二十九年までの藍澤義塾の塾生名簿。

4.『三餘堂同窓会名簿』 1冊
 縦24.0センチ×横16.1センチ、墨付4丁、明治三十三年五月の同窓会名簿。

<版木> 58枚
 三餘堂から安政三年(一八五六)に刊行された『南城三餘集』上下巻等の版木である。『南城三餘集』は、南城の漢詩に朴斎が注釈を加え、三餘堂の出身者の出資によって刊行された。

1.『南城三餘集』版木 54枚
 縦24.0センチ×横39.5センチの板の両面に1丁ずつ彫ってあり、両側に25.5センチの把手がついている。上巻の「題言一・題言二」の1枚のみ欠けている。

2.「罫紙」等の版木 4枚
 縦22.5センチ×横39.5センチと1の版木よりやや小ぶりで、いずれも両側の把手が欠けている。いずれも雲岫(敬一)によって再興された藍澤義塾に関するものである。
  「罫紙」版木2枚
  ・「藍澤敬一封筒・便箋」版木1枚
  ・「藍澤義塾出席簿、受領証」版木1枚



◆柏崎市立図書館◆
<書籍> 1,672冊
 三餘堂で収蔵されていた和漢籍である。写本が若干含まれているが、その大半は版本である。漢籍が圧倒的に多く、中には古学派の荻生徂徠、太宰春台、折衷学派の片山兼山、太田錦城、亀田鵬斎らの著述が含まれており、折衷学の立場をとった南城の学問の方向を明瞭に物語っている。
 一方、朱子学に関する書籍は『朱子語類大全』が僅かに認められるのみで、他は一切含まれていない。長岡の崇徳館、与板の正徳館など、近傍の藩学では、いずれも朱子学が専門に講じられていたことを考えると、その違いは歴然としている。長善館でも朱子学関係の書籍が見られないことが指摘されており(『長善館夜話』)、越後の学塾が官学とは別の系統にあったことを示している。
 なお、書籍には書き込み、蔵書印、仕入れ印等、多くの情報が残されている。これらの情報を手がかりとして、今後、三餘堂の蔵書形成過程、越後の書籍流通経路等の解明が期待される。以下、その特徴について説明する。


1.蔵書の分類
<表1>
柏崎市立図書館の蔵書の分類
番号 綱目 冊数
000 郷土資料 73冊 4.4
100 宗教 58冊 3.5
200 哲学 705冊 42.2
300 文学 475冊 28.4
400 歴史 293冊 17.5
500 法律 25冊 1.5
600 数学 43冊 2.6
 書籍に付された図書記号を、「明治記念新潟県立図書館分類綱目表」に基づいて分類すると、「哲学」「文学」「歴史」の三つの分野の比率が高い(表1)。異なる分野に分類されてはいるが、その大半は漢籍であり、漢学の素養を身につけることを目的としていた学塾の性格を物語っている。
 なお、「宗教」に分類されている国学関係の書籍は、明治期、雲岫によって収集されたものと考えられ、「数学」に分類されている医学・暦学関係の書籍は、主として北溟が教授を務めた朝陽館の蔵書が収められたものである。
※注 柏崎市立図書館の書籍に付された図書記号を、「明治記念新潟県立図書館分類網目表」(大正五年制定)により分類した。
2.蔵書印
 大半の書籍には蔵書印が押されている。表2で明らかなように、蔵書印は圧倒的に1の「藍澤義塾」印が多い。なお、表2の1より6までは、藍澤家関係の蔵書印であることが確認できる。また、7・8は三餘堂との関係が確認できなかった蔵書印であり、今後の検討の余地がある。
<表2> 柏崎市立図書館・県立図書館の蔵書印
No. 印     文 柏崎市立図書館 県立図書館
1
2
3
4
5
6
7
8
9
「藍澤義塾」
「三餘堂図書記」
「祗氏之蔵書」
「藍澤図書」
「朝陽館蔵書」
「藍澤敬一」
「藍田・天游館蔵書記」
「その他」
なし
1,449冊
28冊
4冊
102冊
55冊
4冊
158冊
428冊
7冊
86冊
27冊

1冊
1冊

12冊
92冊
   ※注1 蔵書印が複数押されている場合は、複数カウントした。
   ※注2 10巻の内の1巻にしか蔵書印が押してない場合でも、10巻としてカウントした。
   ※注3 8の蔵書印には、「善独館蔵書印」、「関氏蔵書」、「勝野家蔵」、「藤立安」等がある。


3.旧所有者の墨書
  旧所有者名と思われる墨書の書き込まれている書籍が多い。これらがどのような経緯で三餘堂に収蔵されたかは不明であるが、中には「来迎寺村安淨寺尊栄」(文政五年入門)、「淳風堂」(文政十一年入門の竹内武吉)のように、門人録で名前が確認できる例もある。蔵書に残された主な書き込みは以下の通りである。

 「来迎寺村安淨寺、安淨寺尊栄」、「淳風堂」、「東山村興隆山」、 「青木氏、青木亮太郎」、「龍光院衆寮仙入主、泉龍主、 泉岳寺」、「近藤氏所持」、「貞太郎」、「星名平助」、「額田」、「簡斎渡辺寛敬伯義蔵書」、「櫻井氏、桜井玄良蔵」、「加納邑安国」、「物部茂卿敬識」、「杉野氏」、「杉山時貫」、「藍澤二郎源明雄」、「越後文鼎」


4.仕入れ関係の印
 裏表紙の内側等、目立たぬ所に方形印が押されている書籍が多い。書籍の売買に介在した書肆が、仕入れの際の目印として押した印であろうと思われる。江戸で活躍した須原屋等の印に混じって、「本七」「泉七」「柏葉堂」「柏与」等、柏崎の書肆と思われる印も認められる。書籍に押されている主な印は以下の通りである。
「本七」、「泉七」、「柏葉堂」、「柏与」、「須伊」、「須原仕入」、 「須善」、「須茂」、「須市」、「須文」、「西宗」、「穂波」、「西源」、 「岡庄」、「泉庄」、「新川」、「井筒六」、「林喜」、「大塚」、「川松」、「陽次郎」、「秋太」、「宝善」、「若久」、「仕入若久」、「仕入山佐」、「菊地仕入」、「仕入大和田」

新潟県文化財して説明書」(新潟県教育庁文化行政課)より



南城トップ藍澤南城文化財指定書南城と三餘堂南城年譜
|学塾三餘堂関係資料の概要学塾三餘堂関係資料目録(新潟)学塾三餘堂関係資料目録(柏崎)
文化財としての価値史跡案内図書館所蔵南城・朴斎筆跡南城関係資料一覧