藍澤南城 |
三島郡片貝町に生まれる。寛政四年七月〜万延元年(一七九二〜一八六〇)、六九歳で没。名は祇(ぎ)、字を子敬(しけい)、通称要輔(ようすけ)、号南城(なんじょう)。父北溟(ほくめい)の長男。父病没後母の郷里刈羽郡南条(みなみじょう)村に移る。十五歳で江戸に出て松下一斎に折衷学を学ぶ。文政三年南条に私塾三餘堂(さんよどう)創設。県内外から門人七二三名の記録有。詩を好み生涯に二〇〇〇編もの詩作。南城没後、養子朴斎(ぼくさい)継ぐ。著書に「南城三餘集」
【参考文献】大人名辞典(平凡社)、藍澤南城展解説目録
|南城トップ|藍澤南城|文化財指定書|南城と三餘堂|南城年譜|
|学塾三餘堂関係資料の概要|学塾三餘堂関係資料目録(新潟)|学塾三餘堂関係資料目録(柏崎)|
|文化財としての価値|史跡案内|図書館所蔵南城・朴斎筆跡|南城関係資料一覧|